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神戸地方裁判所 昭和57年(ワ)1024号 判決 1988年12月13日

原告

福富良雄

原告

福富和子

右両名訴訟代理人弁護士

井上二郎

被告

神戸市

右代表者市長

宮崎辰雄

右訴訟代理人弁護士

俵正市

重宗次郎

苅野年彦

草野功一

坂口行洋

寺内則雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告福富良雄に対し金一二五〇万一七四九円、同福富和子に対し金一二三四万四四二九円、及び右各金員に対する昭和五六年八月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

(一) 福富宗一(以下「亡宗一」という。)は、昭和五六年三月神戸大学教育学部を卒業し、同年四月神戸市の教員として採用され、以来神戸市立西舞子小学校教諭として勤務していた。

(二) 神戸市教育委員会は、昭和五六年八月一七日から同月二〇日までの四日間(三泊四日)にわたり、兵庫県美方郡浜坂町において、小学校教員を対象とした体育実技講習会(以下「本件講習会」という。)を開催した。

(三) 亡宗一は、右講習会に参加していたところ、講習会日程の最終日である同月二〇日午前一〇時すぎころ、兵庫県美方郡浜坂町浜坂サンビーチ(以下「サンビーチ」という。)において、同講習会の水泳講習会(以下「本件水泳講習」という。)受講中溺水し、同日午前一一時一五分右溺水が原因で死亡(以下「本件事故」という。)した。

2  講習会の講習内容等

(一)(1) 本件講習会における体育実技の講習は、昭和五六年八月一七日午後から始まり、一八日は午前九時から午後四時三〇分まで、一九日は午前九時から午後五時ころまで行われた。

(2) その講習内容は、次のとおりであり、しかも、その訓練は連続的に行われた。

一七日午後  体操

一八日午前  ストレッチ体操

身体を極限まで屈伸させる訓練、例えば、開脚一八〇度にして上体を前倒し、横倒しにするとか、開脚で上体をはさむような姿勢で腰を上げ下げする、脚を抱えて胸に引きつける等の上下肢のかなり激しい屈伸を伴う動作を繰り返して行う等二五型全部が行われた。

同日午後  バスケットボール

ランニングシュートやリレー形式でのゲーム等が、僅かの休憩時間をはさんで連続的に行われた。

一九日午前  基本の運動

フラフープ、縄飛び、ボール等を使用した。

同日午後  器械運動

マット、跳び箱、鉄棒を使用し、腕立て回転、開脚跳び、逆上がり等の各運動が行われた。

(二) 講習会では、右のとおり内容的時間的に激しい訓練が行われたため、受講者には、一八日の訓練中途中で足首を捻挫し訓練を中止させられた者もでたし、一九日の訓練中鉄棒運動で大きなアザを作った者もでた。そして、一九日朝には、受講者全員が異口同音に「脚が張っている。」とか「ふくらはぎが痛い。」と述べ、二〇日朝には「脚がぱんぱんに張っている、痛い。」との受講者の声が聞かれた。

3  本件事故当日の訓練開始から本件事故に至る経緯

(一) 講習会最終日の同月二〇日には水泳訓練が予定されていたところから、受講者全員は、午前九時ころ朝食をすませ、宿舎で水着を着用したうえ宿舎前に集合して午前九時一五分宿舎前を徒歩で出発し、午前九時三〇分ころサンビーチに到着した。同所に到着後直ちに神戸市教育委員会指導主事ら(以下、「指導主事ら」という。)の指示により受講者全員につきペアーの編成がなされ、亡宗一は、訴外江見文雄教諭(以下、「江見教諭」という。)とペアー(以下.「江見・亡宗一組」という。)を組んだ。その後、右指導主事が、受講者全員に対し、安全確認のためペアーは一緒に行動するようにとの注意を行い、全員が、約一五分間準備体操をしたうえ、午前九時五五分ころ、一斉に海に入った。

(二) 江見・亡宗一組は、しばらく泳いだものの、あまりに寒いのですぐに浜にあがり、関節や皮膚をマッサージした。同組は、午前一〇時三分ころ、訴外国広一雄教諭と同小坂新子教諭のペアー(以下、「国広・小坂組」という。)に続いて再び海に入り波打ち際から約六〇メートル沖にあったブイに向かって泳ぎ出し、午前一〇時六分ころ、右ブイ付近に到達した。同時に、国広・小坂組がブイを離れ岸に向かって泳ぎ始め、途中国広教諭らが振り返ってみると、後から白い帽子をかぶった亡宗一が平泳ぎでついてくるのが見えた。国広教諭が、波打ち際に着いて後方を振り返って見ると、白い帽子をかぶった亡宗一の姿が見えなかったので、驚いて「誰かが溺れたぞ。」と叫んだ。国広教諭は勿論、その他近くにいた男子教諭約一五名が直ちに海に入り捜索に向かったが該当者を発見できなかった。

(三) そうするうち、指導主事らの講習会主催者側が、午前一〇時一六分ころ、受講者全員に対し、「浜へ上がって互いのペアーの確認をせよ。」との指示を出したため、右捜索が一時中断され、右指示による確認作業の結果、亡宗一がいないことが判明し、指導主事らの指示で再び亡宗一の捜索が開始された。

(四) 捜索者の一人が、右捜索が開始された後の午前一〇時二三分ころ、ブイより約二〇メートル岸寄りの水深約2.5メートルの位置に頭を沖側にして沈んでいる亡宗一を発見し、同人を浜に運びあげ、人工呼吸を施したところ、亡宗一は多量の水を吐いた。その後、亡宗一は、救急車で病院に運ばれたが(午前一〇時四〇分ころ病院到着。)、午前一一時一五分死亡が確認された。

4  亡宗一の溺水の原因

亡宗一の溺水の原因は、講習会で前日まで連続して行われた体育訓練による、同人の身体・四肢の筋肉疲労に記因するこむら返しにあると推認される。

5  責任原因

(一) 安全配慮義務違反に基づく債務不履行

(1) 被告神戸市(以下、「被告市」という。)は、亡宗一の使用者として、同人に対し、同人が遂行する職務上の管理等に当って、同人の生命を危険から保護するよう配慮すべき雇用契約上の安全配慮義務を負っていた。

(2) 本件講習会は、被告市教育委員会社会教育部体育保健課職員らによって企画・実施されたものであるが、右職員らは、右企画・実施に関して、以下のとおり安全配慮義務を怠った。

本件事故は右職員らの右安全配慮義務を怠った結果発生したものであるから、被告市には、原告らに対し、後記6の各損害を賠償すべき責任がある。

(3)(イ) 本件講習会の対象者は、体育専攻の教員ではなく、一般の教員で、亡宗一のような新任教員の参加が求められていた。このような受講者の質を考えれば、その中には連日の体育訓練により身体の疲労や筋肉痛が残る者があり、そのような身体的状態で水泳をすれば、身体・四肢の筋肉疲労が原因で、受講者の中から、足のけいれんやこむら返し等の故障を起こす者がでる危険は、一般的に十分予測可能であった。又、本件講習会の訓練内容は前記のとおり受講者にとってかなり厳しいものであり、指導主事らは、現に受講者の中から「脚が張る。痛い。」等の声が出ているのを十分知っていた。

したがって、右職員らは、本件のごとき体育講習会を企画するに当って、講習日程を企画するうえで、水泳訓練の日程を初日に置く等の配慮をすべきであったし、右のとおり企画しても、それを実施するうえで、訓練の実施状況に応じてその日程を変更すべきであったのに、企画上の右配慮をせず、水泳訓練を本件講習会の最終日に置き、又、受講者の中から起きた肉体的苦痛の訴を無視して、水泳訓練を実施した。

(ロ) 仮に、水泳訓練を最終日に実施するとしても、右職員らには、当日海の状況が水泳訓練に不適切な場合には右訓練を中止すべき義務があったのに、これを強行した。即ち、サンビーチの管理者が、風波が高く水泳に危険な状態となったと判断した場合に、遊泳禁止の措置がとられるが、本件事故当日は、台風一五号の接近のため、波が高く、右管理者である訴外田辺みよ子は、海の状態が前日同様遊泳には適さないと判断し、サンビーチ中央の監視所付近に前日立てておいた赤い吹き流しをそのまま立てていた。右のとおり、当日のサンビーチの波は高く遊泳は危険であって水泳訓練に不適切であり、当日朝から浜の中央監視所付近に遊泳禁止の標識である赤い吹き流しが出されていたから、右職員らには、右訓練を中止すべき義務があった。それにもかかわらず、右職員らは、右訓練を強行した。

(ハ) このような気象条件や海の状況の下で水泳訓練を強行するのであれば、右職員らには、予想される危険に備えて、救助のためのボートや浮袋等の救命具を用意し、監視台に監視人を配置する等、予め万全の監視・救助態勢をとって、受講者の生命身体の安全を確保する義務があったのに、救助用ボートや救命具等を予め用意せず、監視台上はもとより他の場所にも監視人を配置していなかった。特に、亡宗一の溺水を誰も見ておらず、その救助の遅れが同人の死亡の原因の一つであるが、同人が前記人工呼吸を受けた際多量の水を吐いた事実から推すと、同人は、溺水時、少なくとも幾らか浮き沈みをしたと推認されるから、右監視及び救助態勢が十分であれば、亡宗一の救命はできたというべきである。

(ニ) 右職員らには、前記のとおり国広教諭の溺水者がいる旨の急告を受けた後直ちに迅速適切な捜索救助活動を実施継続し、一刻一秒でも早く該当溺水者を発見してこれを救助すべき義務があったのに、亡宗一の捜索中前記のとおり一旦右捜索を中断し、捜索者全員を浜に上げて参加者のペアーの確認をさせた。しかして、右措置によって右捜索に時間的遅れを生じたが、右遅れは、亡宗一の救命にとって致命的となった。

(二) 国家賠償法一条一項に基づく責任

被告市の前記職員らは、被告市の公権力の行使に当たる公務員として、公務である本件講習会の企画・実施に当り、前記5(一)(3)(イ)ないし(ニ)記載の過失により、本件事故を発生させたものであるから、被告市には、原告らに対し、国家賠償法一条一項に基づき、後記6の損害を賠償すべき責任がある。

(三) 民法七一五条に基づく責任

本件講習会及びその一内容としての水泳訓練が前記職員らによって実施されたことは、前記のとおりである。

江見教諭は、被告市に教員として雇用されていたものであるが、亡宗一とともに右講習会を受講し、右水泳訓練にも参加して、右訓練において亡宗一とペアーを組んでいたところ、本件事故当日右訓練に先立ち、指導主事らから、「このペアーは安全を確認しあうペアーであるから死んでも離れてはいけない。」旨厳重に指示を受けていた。したがって、右江見教諭には、右訓練に従事中、ペアーの一員として、その相手である亡宗一から目を離すことなく、同人の動静に注視し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、右訓練に従事中に亡宗一を見失ったため、亡宗一が溺れたのに気付かず、その結果、同人の発見・救助が遅れ、同人は死亡した。江見教諭の行為が被告市の業務執行中に行われたことは、右主張より明らかである。

よって、被告市は、原告らに対し、江見教諭の使用者として民法七一五条に基づき、後記6の損害を賠償する責任がある。

6  損害

(一) 亡宗一の損害

(1) 逸失利益

金二三九九万六〇五九円

亡宗一は、本件事故当時満二四歳(昭和三二年七月二九日生)の健康な男子であり、本件事故当時の同人の年収は、給料・調整手当・義務教育等教員特別手当月額金一三万四二三二円(年収金一六一万〇七八四円)と期末手当年収金五一万一七二八円(給料月額金一一万八四五六円と調整手当月額金九四七六円の合計額の四か月分)の合計金二一二万二五一二円であったところ、就労可能年数四三年(ホフマン係数22.611)、生活費控除率五〇パーセント、年収金二一二万二五一二円を基礎に亡宗一の逸失利益を算出すると、次の計算式のとおり、金二三九九万六〇五九円となる。

212万2512×22.611×0.5=2399万6059(円)

(2) 相続

原告福富良雄、同和子はそれぞれ亡宗一の実父、実母であるところ、原告両名は、亡宗一の右金二三九九万六〇五九円の損害賠償請求権を、その法定相続分にしたがい、それぞれの二分の一である金一一九九万八〇二九円宛相続した。

(二) 原告らの固有の損害

(1) 葬儀費用 金五〇万円

原告福富良雄が、亡宗一の葬儀を主催し、その費用として金五〇万円を出捐した。

(2) 慰謝料 各金六〇〇万円

亡宗一は、かねてよりの希望どおり教職につき、希望に燃えて真面目に日々を送っていたのに、本件事故によりその生命を失った。原告両名は、長男亡宗一を満身の愛情をこめて育ててきた。その同人を本件事故により失ったのであるから、原告らの精神的苦痛は、筆舌に尽くし難いものがある。原告らの右精神的苦痛を慰謝するには、少なくとも原告ら各自につき金六〇〇万円が相当である。

(三) 損害の填補

原告らは、本件事故について、地方公務員災害補償法により、地方公務員災害補償基金から、遺族補償一時金等として、原告福富良雄につき金五九九万六二八〇円、原告福富和子につき金五六五万三六〇〇円の支払を受けたので、右損害額からそれぞれこれを控除する。

(四) 原告両名の損害額合計

以上、原告福富良雄の損害合計額は、金一二五〇万一七四九円(右(一)(2)、(二)(1)(2)の損害金合計一八四九万八〇二九円から右(三)の金五九九万六二八〇円を控除したもの)、原告福富和子のそれは、金一二三四万四四二九円(右(一)(2)、(二)(2)の損害金合計金一七九九万八〇四九円から右(三)の金五六五万三六〇〇円を控除したもの)となる。

7  結論

よって、原告らは、被告市に対し、債務不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償として、原告福富良雄は金一二五〇万一七四九円、原告福富和子は金一二三四万四四二九円及び右各金員に対する本件事故発生の日である昭和五六年八月二〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告市の答弁及び抗弁

1  答弁

(一) 認否

(1) 請求原因1の事実は認める。

(2) 同2(一)(1)の事実は認める。

同(一)(2)中本件講習会の講習内容として、一七日午後体操、一八日午前ストレッチ体操、午後バスケットボール一九日午前基本の運動、午後器械運動が行われたことは認めるが、同(2)のその余の事実は全て否認する。右講習内容は、右各日に行われた講習内容の一部に過ぎず、しかもその内容は訓練というものではなかった。なお、右講習内容の詳細については後記のとおり。

同(二)中一九日までの講習で、受講者一名が足首を捻挫したこと、受講者中に「脚が張っている。」とか、「ふくらはぎが痛い。」等言っていた者がいたことは認めるが、同(二)のその余の事実は全て否認する。受講者一名の右足首捻挫は偶然に発生したものである。

(3) 同3(一)中本件水泳講習内容が、訓練としての内容をもっていたことは否認し、同(一)のその余の事実は認める。右水泳講習は、レクリエーション的なものとして実施された。したがって、その参加は希望者だけとし、見学も自由であった。

同(二)中江見・亡宗一組が、水泳開始後沖のブイに向って泳ぎ出し、右ブイ付近に到着したこと、国広・小坂組が、ブイの一つを離れ岸に向かって泳ぎ始めたところ、白い帽子をかぶった者が追従して泳いできたこと、国広教諭が波打ち際に着いて後方を振り返って見ると、白い帽子をかぶった者の姿が見えなかったこと、国広教諭が驚いて「誰か溺れたぞ。」と叫んだこと、右教諭は勿論参加者らが直ちに海に入り捜索に向ったが、該当者を発見できなかったことは認めるが、同(二)のその余の事実は否認する。

同(三)中右捜索中に指導主事が、各自ペアーの確認をせよとの指示を出したことは認めるが、同(三)のその余の事実は否認する。

同(四)中亡宗一が、人工呼吸を受けた際吐いた水の量は否認し、同(四)のその余の事実は認める。

(4) 同4の事実は否認する。

本件講習会における一九日までの講習内容は後記のとおりであり、右講習内容から、亡宗一には原告らの主張する筋肉疲労は存在しなかった。現に、亡宗一は、本件事故当日朝宿舎で逆立ちをしていたし、本件水泳開始前浜で十分に準備運動を行っていた。即ち、江見教諭が、準備運動を終えた後も、一人入念に屈伸運動、足伸ばし等の準備運動を行っていた。亡宗一の上下肢の筋肉は、右のとおりの十分な準備運動によりときほぐされていて、こむら返しの生じにくい状態にあった。又、一般に、水泳中に発生したこむら返しによって死亡することは先ずない。まして、亡宗一が、本件水泳に参加した者と比較しても優れた泳力を有していたと認められることは後記のとおりであるから、こむら返しによって死亡することはあり得ない。

亡宗一の死因は、急性心不全等の急病によるものと推認される。

(5) 同5(一)(1)の主張は認める。

ただし、被告市が、亡宗一に対し負っていた安全配慮義務の範囲は、同人が相当の泳力を有し、かつ、水泳の際に注意すべき事項について知識を有し、児童の水泳を指導すべき立場にある成人教員であったから、かなり狭いものといわざるを得ない。

同(2)中本件講習会が、被告市教育委員会社会教育部体育保健課職員らによって企画・実施されたことは認めるが、同(2)のその余の事実及び主張は争う。

右職員らは、後記主張のとおり、右講習会の企画・実施に当たり、その安全に十分な配慮を尽くした。

よって、被告市に、原告らの主張する安全配慮義務違反はなく、したがって、右事由に基づく損害賠償責任はない。

同(3)(イ)中本件講習会の対象者が、体育専攻の教員ではなく、一般の教員であったこと、受講者中に「脚が張る。痛い。」等述べる者がいたこと、本件水泳が、本件講習会の日程上最終日に企画されていたこと、右水泳が、右企画どおり実施されたことは認めるが、同(イ)のその余の事実及び主張は全て争う。

同(3)(ロ)の事実及び主張は全て争う。

同(3)(ハ)中亡宗一の溺水を誰も見ていなかったこと、同人が人工呼吸を受けた際水を吐いたことは認めるが、同(ハ)のその余の事実及び主張は全て争う。

同(3)(ニ)中前記職員らが、国広教諭から溺水者がいる旨の急告を受けた後、右職員らに、原告ら主張のとおりの救助義務があったこと、右職員らが、亡宗一の捜索中水泳参加者にペアー確認の指示を出したことは認めるが、同(ニ)のその余の事実及び主張は全て争う。

右職員らは、後記主張のとおり右注意義務を尽したし、右ペアーの確認の指示が、亡宗一の捜索に時間的遅れを生じさせたことはない。

同5(二)中右職員らが、本件講習会の企画・実施に当たったことは認めるが、同(二)のその余の事実及び主張(ただし、前記5(一)(3)(イ)ないし(ニ)に対する認否で認めた事実及び主張は除く。)は全て争う。

右職員らに、原告ら主張にかかる過失がないことは前記5(一)(3)(イ)ないし(ニ)に対する認否及び後記主張のとおりである。

同5(三)中本件講習会及びその一内容としての本件水泳講習が前記職員らによって実施されたこと、訴外江見文雄が、被告市に教員として雇用されていたものであるが、亡宗一とともに本件講習会の講習を受講し、本件水泳講習にも参加して右講習において亡宗一とペアーを組んでいたこと、右江見文雄は勿論亡宗一も右水泳講習に先立って、指導主事らから「このペアーは、安全を確認しあうペアーであるから死んでも離れてはいけない。」旨の指示を受けたこと、江見教諭が、亡宗一の溺水に気付かなかったこと、亡宗一が死亡したことは認めるが、同(三)のその余の事実及び主張は全て争う。

(6) 同6(一)(1)中亡宗一が、本件事故当時満二四歳であったこと、同人の本件事故当時における給料・調整手当・義務教育等教員特別手当・期末手当等の各金額が、原告ら主張のとおりであることは認めるが、同(1)のその余の事実及び主張は争う。

同(一)(2)中原告らが、亡宗一の実父母であることは認めるが、同(2)の主張は争う。

同6(二)(1)の事実は不知。

同(二)(2)中亡宗一が、教職についたこと、同人が、本件事故により死亡したことは認めるが、同(2)のその余の事実は不知。その主張は争う。

同6(三)の事実は認めるが、その主張は争う。

同6(四)の主張は争う。

(7) 同7の主張は争う。

(二) 主張

(1) 本件講習会の目的、基本的性格、講習内容等

(イ) 本件講習会は、小学校教員の体育にかかわる指導力の向上を図るため、体育の基本的考え方と、これに基づく指導法を学ぶことにより、児童のつまづきを解消し、望ましい体育授業を創造することを目的としている。

小学校における体育の場合、児童に基本の運動(歩・走・跳等)について教えることが多いが、右基本の運動は、とかく単調になり易く、児童の興味を引き出すことができなかった。

本件講習会は、右のような無味乾燥な指導法を改め、自由な発想で体育、運動に対する児童の興味を引き出すような指導法を学ぶところにその目的があったのであり、参加教員の体力・運動技術の向上を目的としたものではなかった。

なお、本件講習会と同一目的及び内容の体育実技講習会は、昭和三三年から毎年夏期休暇中を利用して開催実施され、本件講習会は、その第二二回に当たり、その後も現在まで継続して開催実施されている。しかして、昭和三三年の第一回講習会から昭和六二年の第二八回講習会までの間、本件事故以外に同種事故は、全く発生していない。

(ロ) 本件講習会の右目的から、右講習会の受講者は任意参加である。即ち、各学校の職員会で体育世話係教員が、本件講習会が開催されることを連絡し、その学校の希望者が参加するものである。

ただ、本件講習会の案内文書には、「本年度新規採用者は、なるべく参加することが望ましいと思います。」との記載があるが、これは、体育指導の経験が浅く、体育指導法に悩みを持っている新規採用教員に対し、本件講習会への参加が望ましいとの単なる希望を表示したに過ぎず、新規採用(新任)教員の参加を特に要求したものではない。このことは、本件講習会が実施された昭和五六年度神戸市立小学校新規採用教員一八四名中右講習会に参加した右教員が二七名(なお、右講習会の受講者総数は七二名)であったこと、亡宗一が赴任した神戸市立西舞子小学校には、同人と同期の新規採用教員が五名いたが、右講習会に参加したのは亡宗一だけであったことから明らかである。

(ハ) 本件講習会の日程及び内容は別紙のとおりであった。

(ニ) 本件講習会の右日程及び内容は、右講習会の前記目的、基本的性格にそって企画され、実施された。

(a) 右講習会における講習(ただし、二〇日の水泳講習を除く。)は、講師による説明と実技からなり、むしろ説明を主体としたものであったため、講習の内容によっては、受講者において右説明を聞いている時間の方が多かった。したがって、実技そのものは、講習中連続して行われていなかった。

(b) その実技中においても、休憩時間を適宜とり、又、待ち時間のため事実上休憩できるようになっていた。

(c) 実施された実技自体、小学校授業で児童が身につける程度のものであり、決して難しいものでなく、又厳しいものでなかった。

とりわけ、本件講習会の目的が、小学校の体育授業における児童のつまづきのポイントを探り、その指導法を学ぶことにあったから、受講者に対し実技を完全にこなすことが求められていなかった。

(d) 本件講習会の主催者側職員らは、右講習会の開催式でも、受講者に対し、受講者は各自自分の体を通して体育の指導法を身につけるよう、又、各自健康管理は十分配慮するよう、更に、右講習会における各講習では自分のできる範囲の運動をするよう要請したし、各講習に当たっても、その都度、各講師が、受講者は自分の能力及び体調にあわせて実技するように指導していた。

(e) 原告らの主張に対応する、主な実技の内容は、次のとおりである。

(Ⅰ) ストレッチ体操

右体操は、現在その効用が高く評価されており、神戸市内の小学校及び中学校の体育授業において、準備運動、整理運動として取入れられている。

右体操は、筋肉の柔軟性を高める体操で、筋肉の緊張をときほぐし、筋肉をリラックスさせ、それにより血行を良くして精神的安定を図れる等の効用がある。従来の柔軟運動が、外から力を加えて筋肉を伸張させる方法をとったのに対し、ストレッチ体操は、自分で無理のない所まで、換言すれば、筋肉に負担をかけない所まで徐々に伸ばし、そこから息を吐き出しながら力を抜いていくというものである。

本件講習会において、受講者が実際に行ったストレッチ体操は、現在神戸市内の小学校及び中学校で行われているものと同様の運動であり、受講者が、これを行うにつき何等の負担も伴わないものであった。

したがって、ストレッチ体操を行ったことによって、受講者に下肢の痛み、疲労が残るということはあり得ない。

(Ⅱ) バスケットボール

右実技の実施時間割は、別紙のとおりである。

右実施時間の前半において、先ず、プリントによる総論的な説明が約三〇分間行われ、その後ドリブル、パス、シュート等の練習が実施された。この間、各論的に各技術についてポイントの説明又は練習方法の指示があった。

しかして、受講者七二名に対して、ボールが四個、体育館にコートが二面しかなかったので、受講者の実働時間及び運動量は、極めて少なかった。

休憩後、主として三対三のゲームが行われた。しかし、コートが右のとおり二面しかなかったので、一度に右ゲームに参加できる受講者は一二名であり、受講者全員が均等に参加したので、一人平均一〇分強の実働でしかなかった。

(Ⅲ) 器械運動

右運動の実施時間割は、別紙のとおりである。

前半に鉄棒運動が行われたが、そこでは総論的な話が約四〇分間行われ、その後一時間程度逆上がり等の初歩的な運動につき各論的な説明と実技が実施された。そして、受講者の実技につまづきがあれば、受講者全員を集めて、そのつまづきの解消方法について説明が行われた。このようにして、説明と実技が交互になされながら講習が進められたが、鉄棒が六連しかなかったので、受講者がその実技を行うのに一度に一二名程しかできず、一人当たりの実働時間は一〇分に満たなかった。

一〇分間の休憩後、マット運動及び跳び箱運動が、各五〇分ずつ実施された。

マット運動では、比較的容易な前回り、後ろ回り及び側転が行われたが、これについても鉄棒運動の場合と同じく、各種目について総論的な説明及び具体的なポイントの説明が行われ、これを交互に受講者が実技をするという形で、講習が進められた。右講習において、受講者の実働時間は、二十分が精一杯であった。

跳び箱運動についても、マット運動の場合と同じ形式で講習が進められたが、その実技については、受講者一人が五回位跳んだに過ぎない。

(f) 以上のとおり、本件講習会は、小学校の児童が体育授業で行う実技、運動を通して体育の指導法を探るものであり、その実技、運動自体は初歩的なものであり、運動量においても実技者の筋肉に負担をかけるようなものでない。したがって、右講習会の受講者に極く軽度の筋肉疲労はあっても、その筋肉疲労が蓄積するようなことは決してなかった。

(ホ)(a) 本件講習会の最終日に本件水泳講習が企画されているが、右講習は、前日までの講習と性格を異にし、右講習会のレクリエーションを兼ね、海浜に児童を引率した場合のレクリエーションの指導法を学ぶのが目的であり、受講者の泳法ないし泳力の向上を目的としたものでない。したがって、右水泳講習は、水泳の講習というよりも、あくまでもレクリエーション的なものとして、右講習会の打ち上げ的な意味を含めて、右講習会の最終日に組み入れられた。このようなことから、水泳講習は、過去実施された本件講習会と同内容の講習会においても、一貫して最終日に組み込まれてきたのである。

(b) 本件水泳講習の目的・性格が右のとおりであったから、本件講習会の主催者側も、受講者に対し泳法や泳行距離等の指示を行っていない。受講者は、各自のペースで泳ぎを楽しんだのである。

(c)(Ⅰ) 小学校教員は、一般にかなりの泳力を有している。小学校では、中学校と異なり、一人の教員が全教科を教えるため当然体育授業でも児童に水泳指導を行わねばならないからである。被告市の場合、小学校教員の採用条件として二五メートル以上の泳力を有することとし、本件講習会の受講者は、全員右条件を満たしている。

(Ⅱ) 新規採用教員を対象とする水泳講習会が、本件講習会に先立つ昭和五六年六月に開催された。

右講習会は、参加を義務付けられた研修であり、亡宗一ら新規採用教員は全員これに参加した。右講習会は、水泳指導の際の児童の安全確保に万全を期すため、水泳指導に当たる新規採用教員の水泳技術の向上を目的とし開催されたものである。

(Ⅲ) 右講習会の終了時に、参加者の泳力判定が行われたところ、亡宗一の泳力は、クロールがA、平泳ぎがA、横泳ぎがC(判定Aは、泳ぎの形が素晴らしく、児童に正しく指導できる、Cは、泳ぎの形が崩れており、形の指導は難しい、というものである。)であった。

なお、亡宗一の横泳ぎのC判定は、二五メートルを所定のストローク数で泳ぎきることができず、回数を超過したためであって、決して泳力が不足していたというものでない。

亡宗一が、十分な泳力を有していたことは、右判定から明らかである。

(Ⅳ) 神戸市内の各小学校では、同年七月、水泳授業に備えての校内研修が実施され、水泳技術向上のための取組が鋭意行われていた。

(Ⅴ) 本件講習会の受講者は、全員右水泳講習ないし研修を経験しており、教員として必要な泳力を有し、かつ、水泳に際しての注意事項を十分に承知していた。

(d) 本件水泳講習は、右条件の下で企画・実施されたのであるが、右講習会の主催者側は、受講者全員に対し宿舎前でも、現地の浜でも、再三にわたり体調の悪い者は無理をせず申出て見学するよう伝えた。その結果、受講者中四名が見学していたが、その他には不調を訴える者はいなかった。

(ヘ) 以上のとおり、本件講習会の日程及びその内容は、亡宗一を含む右講習会の受講者全員につきその安全を十分配慮して企画・実施された。

(2) 本件事故当時におけるサンビーチの客観的状況

(イ) 天候 晴  気温29.1度

風速南南東二メートル  水温二八度

海水浴に適切な気温は二六度以上であるから、当時の気温は、水泳に適していた。

又、水泳に適した水温は、二五度から二六度位(プールの場合は、二二度以上。)であるから、当時の水温も水泳に適していた。

(ロ) サンビーチにおける波の状況は、穏やかであり、誰でも同所で安全に水泳ができる状態であった。現に、本件事故当時、他の一般の海水浴客が、同所で水泳を楽しんでいた。

(ハ) サンビーチの管理者は、浜坂観光協会と委託契約を結んで、サンビーチの管理に当たり、管理者が水泳に適さないと判断した場合には、浜に赤い吹き流しを三本立て、監視員がハンドマイクで水泳禁止を海水浴客に知らせてまわり、水泳禁止の措置がとられたことを周知徹底することになっていたところ、本件事故当日、右水泳禁止の措置は全くなされていなかった。

(3) 水泳実施前の準備及び水泳実施中の監視態勢

(イ) 本件講習会の主催者側である指導主事は、本件事故前日及び当日の早朝、受講者の内数名の者をして、サンビーチの海水の温度・波の状態・クラゲの有無等を下見させ、かつ当日の朝には自ら浜を下見し、訴外浜坂漁業組合に問い合わせさせ、水泳に適した状態であることを確認したうえ、本件水泳講習を実施した。

(ロ) 右主催者側は、右水泳講習を実施するに当たり、救命用具として自動車の大きなチューブでできた浮輪を二本用意して浜に配置し、ボートは水泳開始時借出してはいなかったというものの、波打ち際から約一〇メートルの位置に多数置いてあり、いつでも借りられる状態にあった。

(ハ) 更に、右主催者側は、水泳中の安全確保の方法として、指導主事の指示により、参加者に対してはリーダーの教員を除き全員ペアーを組ませ、ペアー相互に安全確認させたほか、ボートがある波打ち際の少し盛り上がった見通しのきく場所を本部とし、指導主事らが右本部から、指導主事、本件講習会の講師、右リーダーらが海の中から、それぞれ参加者らの遊泳状況を監視していた。

(4) 本件事故発生後の救助活動

(イ) 国広教諭は、本件事故発生後、大声で本部の指導主事らに事故発生を知らせるとともに他の参加者らの応援を求め、これに応じた関係者のほとんど全員が懸命に亡宗一の捜索活動に従事し、その他、地元の人々が、ボート二隻を出し、又すもぐりでそれぞれ右捜索に協力した。亡宗一の溺れた位置は判然としなかったものの、同人は、結果的に、当初より捜索を集中していた場所付近で発見された。

(ロ) 当初の捜索活動によって、参加者が入り乱れ混乱を呈したので、指導主事は、右捜索開始からある程度時間が経った後、右混乱による二次災害を防止するための措置として各自ペアー確認をせよと指示した。右指示に基づく右ペアー確認は、その場で声を掛け合ったり、片方のペアーが浜にいて「自分の相手はあそこで救助活動をしている。」と確認する等の方法で、右救助活動と平行して、速やかに、かつ、右救助活動を中断することなく行われた。即ち、ペアーを組んでいた参加者のうち泳力に自信のある者及びペアーを組んでいなかったリーダー達十数名は、右ペアー礁認と平行し、海中で亡宗一の捜索活動に必死で従事していたのである。

(ハ) 指導主事は、本件事故発生後直ちに現場付近のレストハウスに居合わせた地元の人に依頼し、管轄警察署、病院へ右事故の連絡をした。

(ニ) 以上のとおり、亡宗一の救助活動は、指導主事らの指示の下、参加者のほとんど全員の協力により、その方法・捜索範囲とも適切かつ懸命になされた。

(5) 江見教諭の過失の有無

(イ) 本件水泳講習の参加者が、二人一組のペアーを組んだこと、その目的、いきさつ等は、前記のとおりである。

(ロ) 右ペアーの編成は、参加者を、水泳に自信のある者、普通の者、右自信のない者の三つのグループに分け、右自信のある者と右自信のない者、普通の者同志が右ペアーを組んだ。

亡宗一と江見教諭とは、普通の者のグループに入っていたが、右両名は、お互いに顔見知りということでペアーを組んだ。

しかして、亡宗一の泳力の方が、江見教諭のそれよりも優れていた。

(ハ) 江見教諭は、本件水泳講習開始後、亡宗一と了解し合って沖のブイに向かって泳ぎ出し、右ブイとブイとの間のロープに、ほぼ同時に到着した。右両名は、同所で、亡宗一において東側、江見教諭において西側に位置し、暫時休憩したが、当時、亡宗一の様子に変わったところ、即ち、同人に極度の疲労とか何等かの援助を要する状態はなかった。

その後、江見教諭は、亡宗一と話し合い、同所よりも東側にあるオレンジ色のブイの方へ向うこととし、亡宗一のすぐそばを通過して東方へ泳ぎ出した。しかし、亡宗一は、江見教諭に追従せず、そのうちに本件事故が発生した。

(ニ) 右事実関係から明らかなとおり、江見教諭としては、本件水泳のペアーとして、亡宗一に対し適切な注意を払い、正常な行動をとったものである。

よって、江見教諭に、原告らが主張する過失は存在しない。

(6) 以上の本件事実関係の下では、被告市には、本件講習会の企画・実施につき原告らが主張するが如き安全配慮義務違反も、過失もない。又、江見教諭にも、原告らが主張する過失が存在しない。

よって、被告市には、原告らの本件主張にかかる債務不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償責任が存在しないというべきである。

2  抗弁

仮に、被告市に原告らに対する本件損害賠償責任が認められるとするならば、被告市は、原告両名に対し、本件事故後、右事故の見舞金として合計金一〇〇万円を支払っているから、右金員は、本件事故による損害の填補として控除されるべきである。

三  抗弁に対する原告らの認否

抗弁事実及びその主張は認める。

第三  証拠関係<省略>

理由

一亡宗一の経歴、本件講習会の開催、本件水泳講習の実施と本件事故の発生(請求原因1(一)ないし(三))は、当事者間に争いがない。

二本件事故発生に至るまでの経緯

1  本件講習会の目的、日程、講習内容等

(一)  本件講習会の講習日程、その内容が被告市教育委員会社会教育部体育保健課職員らによって企画・実施されたこと、右講習会の対象者が体育専攻の教員ではなく、一般の教員であったこと、右講習会が、昭和五六年八月一七日午後(以下、年月を省略する。)から始まり、一八日は午前九時から午後四時三〇分まで、一九日は午前九時から午後五時ころまで行われたこと、最終日の二〇日に本件水泳講習が予定されていたこと、右講習会の内容として、一七日午後体操、一八日午前ストレッチ体操、午後バスケットボール、一九日午前基本の運動、午後器械運動が行われたことは、当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 本件講習会は、被告市教育委員会が教員を対象として例年実施してきた体育関係の講習会のひとつであり、同委員会体育保健課小学校体育担当の指導主事を中心とする同課職員が企画し実施したものである。

(2) 右講習会は、小学校教員の体育にかかわる指導力の向上を図るため体育の基本的考え方とこれに基づく指導力を学ぶことにより、児童のつまづきを解消し望ましい体育授業を創造することを目的としていた。

(3) 右講習会は、右目的からその受講対象者を体育専攻の教員に限定することなく、小学校の教員一般を対象とし、参加は自由であった。即ち、各小学校の体育世話係教員が、前記体育保健課長名で各小学校校長宛に発送した右講習会開催の通知内容を職員会の席上各教員に通知し、右通知を聞いた各教員が各自の意思でその受講を決めるという方法がとられた。しかし、受講者の右講習会への参加は公務の出張扱いとされ、要する費用は公費から支出されることになっていた。ただ、新規採用教員については、右教員らが着任後半年たち体育指導についての多くの悩みを抱え、右悩みを解消するための研修開催の要望が強かったこともあって、なるべくこれに参加するよう要望されていた。

亡宗一も、右方法によって右講習会開催を告知されたが、その勤務する神戸市立西舞子小学校の教頭の勧めもあって、自ら右講習会に参加することに決め、新規採用教員としてこれに参加した。

なお、右西舞子小学校には、当時亡宗一と同期採用の教員が同人を含め五名在籍していたが、右講習会に参加受講したのは亡宗一だけであった。

又、本件講習会の受講者総数七二名中新規採用教員は二七名であった。

2  本件講習会の日程及びその内容

本件講習会の具体的な内容は別紙のとおりであり、右講習会は、右日程のとおり実施された。(なお、右実施された講習内容については、後記認定のとおりである。)

3  本件水泳講習開始から本件事故発生までの経緯

請求原因3(一)の事実中本件水泳講習の内容を除くその余の事実(二〇日朝から右水泳講習開始までの経緯)、江見・亡宗一組が右水泳講習開始後沖のブイに向かって泳ぎ出し、右ブイ付近に到着したこと、国広・小坂組がブイの一つを離れ、岸に向かって泳ぎ始めたところ、白い帽子をかぶった者が追従して泳いで来たこと、国広教諭が、波打ち際に着いて後方を振り返って見ると白い帽子をかぶった者の姿が見えなかったこと、国広教諭が驚いて「誰か溺れたぞ。」と叫んだこと、右教諭は勿論参加者らが直ちに海に入り捜索に向ったが該当者が発見できなかったこと、右捜索中に指導主事が各自ペアーを確認せよとの指示を出したこと、捜索者の一人が午前一〇時二三分ころブイより約二〇メートル岸寄りの水深約2.5メートルの位置に頭を沖側にして沈んでいる亡宗一を発見し、同人を浜に運びあげ、人工呼吸を施したところ水を吐いたこと、その後亡宗一が救急車で病院に運ばれたが(午前一〇時四〇分ころ病院に到着。)午前一一時一五分死亡が確認されたことは、当事者間に争いがない。

三被告市の責任原因

1  安全配慮義務違反に基づく債務不履行の責任について

(一)(1)  亡宗一が本件事故当時神戸市西舞子小学校教諭として勤務していたこと、本件講習会が被告市教育委員会によって小学校教員を対象とし開催されたこと、右講習会の講習日程その内容が被告市教育委員会社会教育部体育保健課職員らによって企画・実施されたこと、亡宗一が右小学校教員として右講習会の講習を受講したこと、同人が本件水泳講習に参加中死亡したことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、右講習会の講習日程その内容が前記保健課小学校体育担当の指導主事らが中心となって企画・実施されたこと、亡宗一の右講習会への参加受講が出張扱いでこれに要する費用が公費により支払われたことは、前記認定のとおりである。

(2) ところで、被告市は、同市と勤務関係に立つ地方公務員に対し、同市が公務逐行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が同市もしくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当って、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務、所謂安全配慮義務を負っている、ただ、右安全配慮義務の具体的な内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的な状況等によって異なると解すべきである。

蓋し、右安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであって、被告市と右関係に立つ地方公務員との間においても別異に解すべき論拠はないからである。(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決民集二九巻二号一四三頁の趣旨参照。)

(3)(イ) そして、本件において、前記当事者間に争いのない事実及び認定各事実に基づけば、被告市は、亡宗一に対しても、右説示にかかる安全配慮義務を負っていたというべきである。

(ロ) ただ、右説示のとおり、被告市の亡宗一に対する安全配慮義務の具体的内容は、同人の職種、地位及び本件事故の具体的状況等によって異なるところ、原告らも本件において、本件事故の具体的状況に基づき、被告市の本件安全配慮義務の具体的内容及びその違反の事実を主張している。

よって、以下、原告らの当該主張(被告市の各場合における安全配慮の欠落。)の当否について判断する。

(なお、被告市の右安全配慮義務に関する主張中右説示と相異なる部分は、当裁判所の採るところではない。)

(二)(1)  本件講習会の講習日程の企画及び実施、就中本件水泳講習を最終日に置いた企画及びその実施について

(イ) 原告らは、右主張に関し、本件講習会には亡宗一のような新任教員の参加が求められていたところ、右講習会の第一日目から第三日目までの講習内容が、内容的、時間的に厳しい訓練であったから、右受講者の質を考えればその中には連日右厳しい訓練によって水泳訓練に不適な身体、四肢の筋肉疲労の残存する者が出ることが十分予測され、しかも、右講習会の主催者側である指導主事らは、現に受講者の中から厳しい訓練内容のため、「脚が張る。痛い。」等肉体的苦痛を訴える声が出ているのを十分知っていた旨主張する。

そこで、先ず、右主張事実の存否につき判断する。

(a) 原告らの右主張事実にそう証拠として、原告福富和子本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第九、第一〇号証、証人福島潤一の証言により真正に成立したものと認められる甲第一一号証、原告福富良雄本人、同福富和子本人の各尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一二号証、原告両名の右各供述があるが、右各文書の記載内容、原告ら両名の各供述内容は、後掲各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

なお、ここで、特に、次の各文書の実質的証明力につき、付加判断する。

(Ⅰ) 右甲第九号証は、昭和五六年九月当時の原告ら宅で行われた、原告福富和子と訴外関田不二夫(同人は、被告市教育委員会体育促進課指導主事で本件講習会の講師でもあった。)との対話録音テープの反訳書であるが、証人関田不二夫の証言によれば、同人が昭和六一年九月一〇日ころ亡宗一の家族から本件事故内容及びその状況について話を聞きたいとの依頼を受けたこと、そこで同人が右依頼内容に応接するため本件講習会当時受講者として亡宗一と同室であった神戸市立上筒井小学校教員三名に会いに行き、右三名から本件事故に関連する話を聞いたこと、右関田が同月一四日原告福富和子と同人宅で面接し右依頼内容について話をしたこと、しかして右関田は右対話において自己の体験と右上筒井小学校教諭から聞いた話と明確に区別せず、あるいは右教諭らの話を伝聞として話していること、右関田は右対話中右原告の亡宗一に対する思い出を害したくないという気持や右関田も亡宗一と同じ教師としてともに本件講習会に参加して亡宗一を無事帰宅させることができなかった無念さ、それ故関田としてはできるだけ良いイメージで亡宗一の家族に接し謝りたいとの気持が重なり、話の進行上その内容が誇張にわたったことが認められ、右認定各事実に照らすと、右甲第九号証の記載内容中原告らの右主張事実にそう部分は、その実質的証明力の客観性に疑問があり、にわかに信用することはできない。

(Ⅱ) 右甲第一〇号証は、昭和五六年一〇月一七日行われた、原告福富和子と江見教諭との対話録音テープの反訳書であるが、証人江見文雄の証言によれば、同人が右同日原告福富和子からの電話で右同日同人宅へ来訪して欲しい旨の要請を受け右同日同人宅を訪問したこと、右江見は右対話中右原告の追及的な口調にいささか辟易し、それまで右原告から何度も本件事故に関することを尋ねられていたところから、もういい加減やめて欲しい、もう何も話たくない、この対話も早く終りにして帰宅したいとの気持を持ち続け、右原告の意見や質問に関してもあえて否定的な言辞を表明せず、どちらかというと右原告の話の内容に迎合する気持も動いたことが認められ、右認定各事実に照らすと、右甲第一〇号証の記載内容も、前掲甲第九号証に対するのと同じ理由から、にわかに信用することができない。

(Ⅲ) 右甲第一一号証は、昭和五七年六月四日行われた、訴外福富由美子(亡宗一の妹)外一名と本件講習会の受講者であった訴外福島潤一との対話録音テープの反訳書であるが、証人福島潤一の証言によれば、本件講習会の講習内容として行われたストレッチ体操により現に普段使わない筋肉の伸縮が行われ痛みを感じたこと、しかし、二〇日朝には運動に支障をきたす程の痛みは残っていなかったこと、同人は二〇日朝他の受講者が「体が痛くて運動なんかできない、水泳等できない。」と言っているのを聞いていないことが認められ、右認定各事実と対比するとき、右認定各事実と相反する右甲第一一号証の記載内容は、にわかに信用することができない。

(Ⅳ) 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六号証の一ないし八は、亡宗一のメモ帳であるところ、右メモ帳に記載されているのは本件講習会の講習内容の概要、講師の説明の要点と推認され、右記載内容それ自体のみでは未だ原告らの主張事実を認めることができない。

(b) かえって、

(Ⅰ) 本件講習会の目的、受講対象者については、前記認定のとおりである。

(Ⅱ) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

file_3.jpg本件講習会の日程その内容は、前記認定の右講習会の目的にそって立案企画された。

file_4.jpg本件講習会の主催者側である指導主事は、右講習会の開講式において、右講習会の右目的に基づき、受講者全員に対し、受講者は各自自分の体を通して体育の指導法を身につけるよう、又、各自健康管理には十分配慮するよう、更に、右講習会における各講習では自分に可能な範囲の運動をなすよう要請したし、各講習に当っても、その都度、各講師が、受講者は自分の能力及び体調にあわせて実技するように指導した。

file_5.jpg本件講習会の第一日目から第三日目までに実施された講習内容及びその状況は、次のとおりであった。

第一日目午後

二時四五分からの開講式に続いて三時から四時三〇分まで、講師が、音楽に合わせて歩く、走る、跳ぶを基本とした運動及びその変化型運動の説明を行い、受講者が、その説明及び指導により各運動を実施していった。

第二日目午前

九時から一〇時三〇分までは前日と同様、講師が、音楽を使って、歩く、走る、跳ぶを基本とする運動及びその変化型運動並びにボールを使う運動で児童が興味をもって行うと思われる運動の説明を行い、受講者は、右説明を受けながら右運動を実施し、合わせて、各自児童が興味をもって行うと思われる運動も工夫した。

一〇分間休憩の後、一〇時四〇分から一二時までストレッチ体操が実施された。右ストレッチ体操は、本件講習会で初めて取り入れられた種目で、従来の柔軟体操とは異なり、はずみをつけたり他の者に押してもらう等して外力を加えて柔軟性を高めるというものではなく、自己の限界まで筋肉を伸ばし、そこでしばらく筋肉を伸ばし続けると従来の柔軟体操と同様に柔軟性を高めることができることから考案された柔軟体操であり、自分で筋肉を限界まで伸ばし我慢しつつ息を吐いていくという方法で行うものである。

しかして、右ストレッチ体操は、当時から現在まで神戸市内の小中学校で準備運動、整理運動に取り入れられている。

この講習では、先ず、講師から右ストレッチ体操についての説明を約三〇分程度行い、その後、講師の説明を受けながら一〇数種のストレッチ体操を各自が行っていった。

なお、「ストレッチ体操の基本二五」と題するパンフレット(甲第四号証)は、講師が受講者に対し右ストレッチ体操の実技指導が終わった段階、即ち、まとめの段階で、講師から受講者に対し、右ストレッチ体操の種類の紹介と現場で児童を指導する場合の手引として配付されたものであった。したがって、講師の右実技指導において、右パンフレットに記載された右ストレッチ体操の全種類が実施されたことはなかった。

第二日目午後

一二時から一時三〇分までの昼食及び休憩時間の後四時三〇分まで一〇分間の休憩をはさんで、バスケットボールの講習が行われたが、この講習でも、先ず始めに、講師が約三〇分間程度小学校におけるバスケットボールのあり方についてプリントに基づいて全体的な説明を行った。その後、受講者は、ランニング、ドリブルキープ、ピボットの仕方、二対二のパスゲームの仕方等の説明を講師から受けながらそれらを行っていったほか、シュート練習、三対三の練習試合を行った。

右練習試合は、受講者七二名を七つのグループに分け、コート二面を使用して行われた。したがって、右練習試合においては、同時に受講者六名しか実技を行うことができず、受講者一人当りの試合時間はごく限られたものであった。

第三日目午前

九時から一二時まで一〇分間の休憩をはさんで、受講者は、小学一年生から四年生までを対象とする歩く、走る、跳ぶの基本運動及びこれらの運動にボール、輪、縄跳び等の道具を使用しての運動を、講師の説明を受けながら各自の工夫も加え、行っていった。

第三日目午後

一二時から一時三〇分まで昼食及び休憩時間をとった後、受講者は、一〇分間の休憩をはさんで、五時まで器械運動、鉄棒、マット、跳び箱運動等を行った。

この講習会においても、先ず始めに、講師が、器械運動についての全体的な説明を約四〇分間行った。その後、受講者は、右各種目の運動を講師の説明を受けながら行ったが、鉄棒の講習が長引き三時過ぎまでかかったので、それから一〇分休憩した後、マット、跳び箱の運動を各五〇分程度行った。

鉄棒の練習では、三種類の高さの鉄棒が二連ずつ計六連用意され、一連につき受講者二名が試技でき、受講者は、講師の説明を受けながら逆上がり、腕立て前回り、腕立て後回りの試技を順次行っていった。その結果、できる者は一回の試技で終了してもよく、できない者もできるまでやらなければならないというものではなく、できない児童の補助の仕方を習得すれば良いというものであった。そして、受講者一人当りの試技の時間は約三〇分程度であった。

マット運動では、開脚、伸膝の各前回り、後回り及び側転、跳び箱運動では、腕たて開脚及び閉脚跳びが四台の跳び箱を使って行われた。

file_6.jpg本件講習会の第三日までの実施内容は右のとおりであったが、右講習会はその目的からして受講者の体力向上、運動技術の向上を目的とするものではなく、又、行われる運動が全て小学校児童を対象とする体育の授業に取り入れようとするものであったことから、技術的には平易であり、そう激しくない運動を内容とするものであった。そして、講師が冒頭で当該講習内容について全体的説明をするほか新しい講習内容に入る前にはそれについて逐一説明があったため、いずれの講習においても受講者がその時間内継続して試技あるいは運動し続けるということはなかった。

file_7.jpgもっとも、受講者の中には、平素あまり運動していないこともあって、前記ストレッチ体操後ある程度の筋肉痛を感じた者もあり、講習第三日目には右筋肉痛を口にする者もいた。しかし、これも、受講者同志の会話中に現われるにとどまり、本件講習会の主催者側の耳に入ったりこれに訴えるまでには至っていなかった。

したがって、右主催者側の指導主事は、右講習会の開講後本件事故発生までの間に、受講者間で、同人らに今後の講習を受講するのに支障をきたす程の筋肉痛、疲労が残存している旨話合っているのを聞いていないし、又、受講者側から同趣旨の訴えを申出られたこともなかった。

file_8.jpg本件講習会第一日目から第三日目までの講習中、バスケット講習の際、受講者一名が偶発的に軽い足首の捻挫をしたが、右受講者以外に、講習によって身体的故障を起こした者はいなかった。

file_9.jpgしかして、本件講習会の最終日である第四日目に本件水泳講習が企画されているが、右水泳講習は、第一日目から第四日目までの講習と、次の点で性格を異にしている。

① 右水泳講習は、本件講習会のレクリエーションを兼ね海浜に児童を引率した場合のレクリエーションの指導法を学ぶのが目的であり、受講者の泳法ないし泳力の向上を目的とするものではなかった。したがって、右水泳講習は、水泳の講習というよりもあくまでもレクリエーション的なものとして、右講習会の打ち上げ的意味をも含めて右講習会の最終日の午前に組入れられた。

なお、水泳講習の右日程企画は、本件講習会に至る過去の同一講習会(本件講習会は、第二二回である。)においても全く同じく企画され、何等事故を起こすこともなく実施され、右企画そのものが非難批判されたことは、一度もなかった。

② 水泳講習の目的性格が右のとおりであったから、本件講習会の主催者側である指導主事らも、右水泳講習への参加は受講者の自由とし、参加者に対しても泳法や泳行距離等は各自の自由とし、主催者側からこれらの指示を行っていなかった。したがって、指導主事らは、右水泳講習開始前不参加希望者の申出を促し、現に受講者中四名が参加を希望せず見学することにした。

③ 被告市では、小学校教員の採用条件として、その泳法は問わないが最低五〇メートルの泳力を有することとし、本件講習会の受講者は、全員右条件を満たしていた。

又、神戸市立小学校新規採用教員水泳講習会が、昭和五六年六月、四日間にわたって開催されたところ、右講習会は、水泳指導の際の児童の安全確保に万全を期すため、水泳指導に当る新規採用教員の水泳技術向上を目的とし、新規採用教員はこれへの参加が義務付けられていた。したがって、亡宗一を含む新規採用教員は、全員これに参加した。

そして、右講習会の最終日である四日目に、受講者の泳力判定が行われ、A(泳ぎの形が正しく、児童の模範となり指導し得る。)、B(泳ぎの形がやや崩れるが、泳ぎの形を児童に指導できる。)、C(泳ぎの形が悪いので、児童の模範とし難い。)の三段階評価が行われた。

亡宗一は、クロール、平泳ぎ、背泳ぎがA、横泳ぎがCの評価を受けた。ただし、右横泳ぎでは、泳ぎの形のほかに二五メートルを何かきで到着するかという一回の伸び率も評価の対象となるところ、亡宗一の場合は、右横泳ぎで所定のストローク数を超過したため右評価となった。

更に、神戸市内の各小学校では、六月から八月までの間、学校の授業として行う各児童への水泳指導を終了しているし、又、各学校では、毎年職員研修として水泳指導を取り入れていた。

本件講習会の受講者は、亡宗一を含め全員水泳講習ないし研修を経験しており、教員として必要な泳力を有し、かつ、水泳に際しての注意事項を十分に承知していた。

file_10.jpgなお、亡宗一の水泳講習開始前における身体的状況については、後記認定のとおりである。

(Ⅲ) 右認定各事実を総合すると、本件講習会の第一日目から第三日目までの講習内容は、原告らが主張するような内容的時間的に厳しい訓練の連続であったとはいえないし、右期間の講習によって、亡宗一を含む受講者の大多数に第四日目の本件水泳講習の実施を不適当とする程度の身体・四肢の筋肉疲労が存在したということもできず、このことから、右講習会の主催者側である指導主事らが受講者の右筋肉疲労の存在を十分予測し、又、右事実を十分知っていたということもあり得ないというのが相当である。

よって、右認定説示に照らしても、原告らの前記主張事実はこれを肯認することができない。

(ロ)  上来の認定説示から、原告らの、本件講習会の講習日程の企画及び実施に対する安全配慮の欠落の主張は、その前提とする受講者の身体的障害の存在、これに対する右講習会主催者側の指導主事らの予測又は知得に関する部分で既に理由がない。

就中、原告らは、本件水泳講習を企画上本件講習会の最終日に置きこれを実施した点を問題にするところ、前記認定にかかる右講習会の第一日目から第三日目までの講習内容、受講者の身体的状況、右水泳講習の目的内容、参加者の決定方法、参加者の水泳に対する能力、その経緯等に基づけば、右水泳講習を企画上右講習会の最終日に置きこれを実施したことをもって、被告市の安全配慮の欠落ということはできない。

(2) 本件水泳講習の実施について

(イ) 原告らは、右主張に関し、本件水泳講習実施当時サンビーチにおける海の状況は水泳に不適切であり遊泳禁止の措置がとられていた旨主張する。

そこで、ここでも先ず、右主張事実の存否につき判断する。

(a) 原告らの主張事実にそう証拠として、前掲甲第一〇ないし第一二号証、証人福島潤一、同田辺みよ子(第一、第二回)、同谷岡春枝、同宇野智秋、同宇野さち子の各証言、原告福富良雄本人、同福富和子本人の各尋問の結果があるが、右各文書の記載内容、右各証人及び右原告らの各供述内容は、後掲各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

なお、ここで、特に、次の各証拠の実質的証明力について付加判断する。

(Ⅰ) 甲第一〇号証の記載内容については、前記認定のとおりであるところ、右文書の右記載内容は、ここでもにわかに信用できないが、その理由は、前記説示と同じであるから、右理由をここに引用する。

(Ⅱ) 甲第一一号証の記載内容についても、前記認定のとおりであるところ、証人福島潤一も、ほぼ右記載内容と同旨の証言をしている。しかしながら、右文書の記載内容及び右供述内容は、後掲証拠と対比してにわかに信用することができない。

(Ⅲ) 成立に争いのない甲第七号証は、新聞の気象関係記事であるところ、右内容は概括的に過ぎ、これから直ちに原告らの右主張事実を認めるに至らない。

(Ⅳ) 証人田辺みよ子(第一、第二回)は、同人は昭和五六年度サンビーチ浜管理者であったところ、本件水泳講習が実施された同年八月二〇日朝は右浜の波が高かったので、前日から監視所付近に掲げておいた赤い吹き流し一本をそのままにし、当日の遊泳禁止を知らせた旨証言し、証人谷岡春枝、同宇野智秋、同宇野さち子、原告福富和子本人は、それぞれ証人田辺みよ子の右証言にそう供述をしているが、右証人及び右原告本人の右供述も、後掲各証拠と対比してにわかに信用することができない。

(b) かえって、

(Ⅰ) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

file_11.jpg水泳講習当日には、台風一五号が南大東島の東海上をゆっくり北東に進んでいた。豊岡観測所の観測結果によると、当日午前九時から一〇時ころ、兵庫県城崎郡香住町香住において、風速一ないし二メートルの風があり、午前九時の兵庫県豊岡市の天候は晴であった。又、舞鶴海洋気象台の観測結果によると、当日午前九時に京都府美方郡丹後町経ケ岬で観測された波は最大波高(波の谷から山までの鉛直距離)九〇センチメートル、平均波高四〇センチメートルで、ほぼ波高四〇ないし七〇センチメートルであった。

file_12.jpg本件水泳講習開始当日午前におけるサンビーチの天候は晴、そして後記認定のとおり気温、水温はともに二八度、風力三ないし四であった。

右講習開始時における右浜の波の状況は、波があると感じられるものの、前記台風の影響は未だ見られず、八月中旬過ぎ(所謂盆過ぎ)の日本海にしてはそう波が高いと思われない程度のものであり、特に遊泳するのに危険があると認められる程のものでなかった。

現に、右講習開始時、他にも子供連れの家族等が多数右浜で海水浴をしているのが見受けられた。

file_13.jpgところで、サンビーチの浜の管理に当る管理者は、訴外浜坂商工会から委託を受けた訴外浜坂町観光協会が行う入札によって決定されていた。昭和五六年度の右管理者は、訴外田辺みよ子の夫名義で入札決定された訴外田辺夫婦によって行われていた。

サンビーチの海開きの期間は、七月二〇日から八月二〇日までとされ、管理者は、その間監視者二名を置き浜の管理に当り、波が高く遊泳するには危険であると判断した場合には、次の遊泳禁止の措置をとることになっていた。即ち、赤い吹き流しを波打ち際から約六〇メートル浜に上がった浜の中央付近の監視所(以下、単に「監視所」という。)に一本、そして波打ち際付近の三か所に各一本ずつ立てて、海水浴客に危険を知らせるとともに、遊泳禁止を告げる放送をし、更に、監視員がマイクで遊泳禁止を知らせて回る措置である。

なお、海開きの期間中には、右監視所に並んで、浜茶屋が、東側に五軒、そして、西側にも開店していたが、本件水泳講習当日は各店とも後片付けの準備をしており、中には浜茶屋を既に撤去しているところもあった。

file_14.jpg本件水泳講習開始時、右浜の管理者による所定の遊泳禁止措置中、放送による遊泳禁止の告知、監視員のマイクによる遊泳禁止の広報活動は、実施されなかった。

file_15.jpg訴外日吉忠指導主事は、本件講習会の主催者側で右講習会の企画・実施の中心をなす一人であったところ、同人は、後記認定のとおり当日早朝サンビーチの状況の調査を依頼しその報告を受けたが、右報告中にも浜に赤い吹き流しが揚がっているとの事実は存在しなかったし、日吉指導主事は、同人と同じ立場に立つ訴外関田不二男指導主事とともに、後記認定のとおり本件水泳講習開始後、監視所から北へ五、六〇メートルの地点に定められた本部付近に立って右水泳の状況を監視していたが、右両名も、赤い吹き流しを目にしなかった。

訴外清水生美夫は、右水泳講習当時浜坂中学校教諭であり、本件講習会の主催者側から依頼を受け、右講習実施の世話をしていたものであるが、右講習開始後、後記認定のとおり浮輪(タイヤチューブ)二個を浜茶屋から借受け、監視所の横を通って本部まで持って行ったが、その時監視所に赤い吹き流しを見なかった。

更に、訴外田熊富好及び同野崎善啓は、右水泳講習当時監視所東側にあった浜茶屋の経営者であるところ、右講習時、右浜茶屋に居合わせたが、監視所に赤い吹き流しを見なかった。

file_16.jpg前記浜坂観光協会は、毎年サンビーチの海開き期間終了後、同協会理事ら関係者を集め、その年の反省会を開催しているが、本件事故発生年度の反省会において、本件事故について言及されるところがあったが、右事故との関連で本件水泳講習実施が不適切であった旨の発言はなかったし、遊泳禁止措置の適否、その責任についても触れられなかった。

(Ⅱ) 右認定事実を総合すると、本件水泳講習の開始当時サンビーチの海の客観的状況は水泳実施に不適切ではなく、又、当時、右浜の波打ち際には勿論監視所付近にも赤い吹き流しの掲揚はなく、その他右浜の管理者による所定の遊泳禁止措置は全くとられていなかったというべきである。

よって、右認定説示に照らしても、原告らの前記主張事実は、これを肯認することができない。

(ロ)  上来の認定説示から、原告らの本件水泳講習実施に対する安全配慮の欠落の主張は、右認定のとおり右水泳講習実施当時のサンビーチ浜の客観的状況、右浜の管理者が行った遊泳禁止措置に関する部分で既に理由がない。

(3) 本件水泳講習実施前の準備及び右講習実施中の監視態勢について

(イ) 原告らは、右主張に関し、本件水泳講習実施前の準備及び右講習実施中の監視態勢の不十分さ不備さを主張する。

そこで、ここでも先ず、右主張事実の存否につき判断する。

(a) 原告らの主張事実にそう証拠として、前掲甲第九ないし第一二号証、証人福島潤一、同田辺みよ子(第一、第二回)の各証言、原告福富良雄本人、同福富和子本人の各尋問の結果があるが、右各文書の記載内容、右各証人及び右原告ら本人の各供述内容は、後掲各証拠と対比して、にわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

特に、右甲第九、第一〇号証の各記載内容がにわかに信用できない理由は、前記説示のとおりであるから、右理由をここに引用する。

又、甲第一一号証の記載内容は、証人福島潤一の証言とともに、後掲各証拠と対比してにわかに信用することができない。

(b) かえって、

(Ⅰ) 本件水泳講習参加者らの泳力、右講習開始直前におけるサンビーチ浜の客観的状況は前記認定のとおりである。

(Ⅱ) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

file_17.jpg前記日吉指導主事は、被告市職員数名に対し、本件水泳講習当日早朝のサンビーチ浜の客観的状況の調査を依頼したが、同日午前六時ころの調整結果は、水温、波ともに遊泳に適し、クラゲも発生していないということであった。日吉指導主事自身、同日午前七時ころサンビーチに赴き海の状況を調査したが、その時も右状況に何等異常は認められなかった。

日吉指導主事は、調査を依頼していた浜坂中学校教諭訴外清水生美夫からも、同人において訴外浜坂漁業組合に勤務する知人に照会した結果、気温、水温ともに二八度、風力三ないし四との回答を得た旨の報告を受けていた。

file_18.jpg日吉指導主事は、右調査報告及び調査結果に基づき、本件水泳講習を実施することとし、参加者らとともにサンビーチに赴き再度海の状況を見て海の状況に前の調査時と比べて変化がないことを確認し右水泳講習を開始した。

file_19.jpg参加者らには、サンビーチ到着後、本件講習会の主催者側から遊泳するに当っての諸注意があり、特に、日吉指導主事は、参加者を泳ぎが得意の者と不得意の者、普通の者同志のペアーの編成をし、その後、ペアーは安全確認のため死んでも離れてはならないとの指示をした。

又、主催者側から体調の悪い者は申出るようにとの注意があったが、海に入らないと申出た者は前記四名のほか誰もいなかった。

なお、亡宗一は、江見教諭と右ペアーを組むことになった。(ただし、この事実は、後記のとおりの当事者間に争いのない事実である。)

(Ⅲ) 右認定各事実を総合すると、本件講習会の主催者側、就中日吉指導主事による本件本件水泳講習実施に当っての事前準備、右講習実施中における監視態勢に不十分さ不備さがあったとはいえず、右認定説示に照らしても、原告らの前記主張事実は、これを肯認することができない。

(ロ)  上来の認定説示から、原告らの本件水泳実施前の準備及び右講習実施中の監視態勢における安全配慮の欠落の主張は、右認定のとおり本件講習会主催者側、就中日吉指導主事の行った右準備及び右実施中の監視態勢に関する部分で既に理由がない。

(4) 救助活動について

(イ) 原告らは、右主張に関し、本件講習会の主催者側職員らが、亡宗一の捜索中、これを一旦中断し捜索者全員を浜に上げて参加者のペアーの確認をすべく指示した、このため、右捜索活動が一時中断され亡宗一の救助が遅延した旨主張する。

そこで、ここでも先ず、右主張事実の存否につき判断する。

(a) 本件水泳講習開始後、国広教諭が溺水者の存在を急告し、右教諭は勿論右講習の参加者らが直ちに海に入り捜索に向かったが該当者を発見できなかったこと、右捜索中に指導主事がペアーを確認せよとの指示を出したことは前記のとおり当事者間に争いがない。

(b) しかして、原告らの右主張事実にそう証拠として、前掲甲第一〇号証、第一二号証、証人福島潤一、同田辺みよ子(第一、第二回)、同田熊富好(ただし、後示信用する部分を除く。)、同宇野さち子の各証言、原告福富和子本人尋問の結果があるが、右各文書の記載内容、各証人及び右原告本人の各供述内容は、後掲各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

前記甲第一〇号証の記載内容がにわかに信用できない理由は、前記説示と同じである。

(c) かえって、

(Ⅰ) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

file_20.jpg前記日吉指導主事も国広教諭の前記急告とそれに伴う参加者らの捜索行動から事故の発生を知り、直ちに前記関田指導主事に管轄警察署への事故連絡と救急車の出動要請を依頼し、右関田指導主事は、参加者の一人に対し、右同内容の行動をすべく指示した。ただし、この時点では溺水者が誰であるかは、右日吉指導主事らにも、又、他の参加者らにも、判然としていなかった。

file_21.jpg前記田熊富好は、右騒ぎを聞き付け直ちに同人の従業員らとともにボート二隻を出し溺水者の捜索に当った。前記野崎善啓も同人の兄とともに海に入り捜索活動に参加した。

file_22.jpg右捜索開始後約一〇分が経過しても溺水者を発見できず、その氏名も不明であった。加えて、参加者全員が右捜索に参加する形になり、安全確保のため編成された前記ペアーが完全に崩れてしまった。しかも、右捜索に加わっている参加者の中には水泳に自信がない者もいた。

右日吉指導主事は、このような状況から、捜索に当っている参加者に二次災害が発生することをおそれ、その防止と溺水者の氏名確認のため、後記各班のリーダー四名や講師二名を除くその他の参加者全員に対し、浜に上がって右ペアーの確認をするよう指示した。参加者らは、この指示にしたがい浜に上がり、右ペアーの確認をし、江見教諭によって溺水したのが亡宗一であることが判明した。

file_23.jpg右ペアーの確認中、短時間で右確認をしその後直ちに捜索を再開した者がいたほか、泳ぎの得意な者の中には浜に上がることなく捜索活動の途中で海中より声を掛け合いペアーの確認をし、確認が取れ次第捜索を再開継続した者もおり、これにペアーを組まなかった各班のリーダー四名、講師二名、更に、この騒ぎを聞き付け右捜索活動に参加した前記地元の人らを合わすと一〇数名の者が、右ペアー確認の間も捜索活動を続けており、右ペアー確認のため右捜索活動が中断されたことはなかった。

file_24.jpgこのような捜索活動の結果、亡宗一は、事故発生から一〇数分後、海底に沈んでいるところを発見され、直ちに浜に引き上げられた。浜に引き上げられた亡宗一に対しては、前記連絡によって既に駆け付けていた警察官による人工呼吸や、講師として本件講習会に参加していた訴外末吉崇晄による心臓マッサージが行われた。そのほか、参加者らも、バスタオルで亡宗一の全身をマッサージをする等して同人の救命活動を行った。そして、亡宗一は右人工呼吸及び心臓マッサージを受けながら、救助前に到着していた救急車によって公立浜坂病院に搬送され、手当を受けたが、当日午前一一時一五分死亡した。

(Ⅱ) 右認定各事実を総合すると、日吉指導主事が出した本件ペアー確認の指示は、当時の捜索状況からみて、本件講習会の主催者側として、捜索活動に従事していた各班のリーダー四名や講師二名を除くその他の参加者らに対する関係ではやむを得ない措置であったし、又、溺水者に対する関係ではその存在及び氏名の早期確定という救助活動としての一面をも持っていたといえるし、とりわけ、右指示によって溺水者が亡宗一であることが判明し、しかも、右指示に基づくペアー確認の間もその捜索活動が継続され、中断していないのであるから、右主催者側、就中右日吉指導主事らが行った本件救助活動は全体として適切であり、右指示のため亡宗一の救助活動が遅延したことはなかったというべきである。

(ロ)  上来の認定説示から、原告らの本件事故発生後の救助活動における安全配慮の欠落の主張は、右認定のとおり本件講習会の主催者側が行った本件救助活動の全体的内容、その経緯に関する部分で既に理由がない。

(三) 以上の認定説示から、原告らの被告市に対する本件安全配慮義務違反の主張は、これを肯認することができず、したがって、原告らの右安全配慮義務違反に基づく債務不履行をもって、被告市の本件責任原因とする主張は、これを採用することができない。

2  国家賠償法一条一項に基づく責任について

(一)(1)  本件講習会が、被告市教育委員会の開催であること、右講習会の講習内容が右教育委員会社会教育部体育保健課に所属する職員らによって企画・実施されたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、前記日吉指導主事らがその中心となったことは前記認定のとおりである。

(2) 右各事実に基づけば、右講習会の企画・実施は、国家賠償法一条一項所定の地方公共団体である被告市の公権力の行使に当ると解するのが相当である。蓋し、右法条項所定の公権力の行使とは、純然たる私経済作用と営造物の設置・管理作用を除く全ての作用をいうと解するのが相当だからである。

(二)  次に、本件における右法条項所定の公務員の過失の有無について検討する。

本件において、本件講習会の講習内容の企画・実施に当った前記職員らの氏名は、前記認定にかかる日吉指導主事ら以外に特定されていない。

しかしながら、本件において、本件講習会が被告市教育委員会によって開催されたことは前記のとおりであるから、右講習会における講習内容の企画・実施も、結局は右教育委員会の組織的決定であったというべきである。

そして、このような場合には、組織体の名称や行政庁を構成する名目的な公務員の氏名を挙げるだけで足り、右法条項所定の故意過失は機関意思について判断すれば足りるというのが相当であるから、本件においても、本件過失の存否を判断するには、右教育委員会の機関意思について判断すれば足り、右職員らを個別に特定しその過失の存在を検討する必要がないというのが相当である。

(三) ところで、原告らは、右過失の前提をなす注意義務として、前記安全配慮義務と同一内容の義務を主張し、右過失の内容である右注意義務違反として安全配慮義務違反と同じ内容の主張をしている。

しかしながら、右安全配慮義務違反が肯認されないことは前記認定説示のとおりであるから、原告らが本件過失の内容として主張する右注意義務違反も、同一理由によってこれを肯認することができない。

(四) よって、原告らの、被告市には右法条項に基づき本件事故に対する責任があるとの主張は、右認定説示のとおり被告市教育委員会の過失に関する部分で既に理由がない。

3  民法七一五条一項に基づく責任について

(一)  本件講習会が、被告市教育委員会によって開催されたこと、右講習会の一内容である本件水泳講習が前記職員らによって実施されたこと、二〇日朝から右水泳講習開始までの経緯(請求原因3(一)中水泳講習の内容を除くその余の事実)、江見教諭が被告市に雇用された教員であり、亡宗一とともに本件講習会の講習を受講し、右水泳講習にも参加して右講習において亡宗一とペアーを組んでいたこと、江見教諭は勿論亡宗一も右水泳講習に先立って指導主事らから「このペアーは安全を確認しあうペアーであるから死んでも離れてはいけない。」旨の指示を受けたこと、江見教諭が亡宗一の溺水に気付かなかったこと、江見・亡宗一組が右水泳講習開始後、沖のブイに向かって泳ぎ出し右ブイ付近に到着したこと、国広・小坂組がブイの一つを離れ岸に向かって泳ぎ出したところ、白い帽子をかぶった者が追従して泳いで来たこと、国広教諭が波打ち際に着いて振り返って見ると白い帽子をかぶった者の姿が見えなかったこと、亡宗一が死亡したことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、本件事故発生後の救助活動、亡宗一発見から同人死亡までの経緯については、前記認定のとおりである。

(二)  民法七一五条一項が適用されるには、被用者の故意過失が問題とされるところ、右当事者間に争いのない事実によれば、江見教諭は被告市の被用者というのが相当であるから、右法条項が本件事故に適用されるためには、原告らが主張する江見教諭の右事故に対する過失の存在が肯認されねばならない。

そこで、先ず、江見教諭の右過失の存否につき判断する。

(1)(イ) 原告らは、江見教諭の右過失の前提をなす注意義務の根拠を、前記指導主事(同人が日吉指導主事であることは、前記認定のとおりである。)が本件水泳講習開始前サンビーチで行ったペアー保持の指示に求めている。

(ロ) しかしながら、右水泳講習の目的、参加者の泳力、当時のサンビーチ浜の客観的状況、右ペアーの編成の指示が右講習開始前に当っての諸注意の中で行われたことは、前記認定のとおりであり、証人日吉忠、同江見文雄の各証言によれば、日吉指導主事は、ペアーを組むことによってお互いの安全を確認できるから遊泳中はペアーで行動し、勝手に単独行動はとらないようにという趣旨で、しかも、右安全確認を強調する意味から右の如き荒っぽい表現で右指示をしたこと、右指示は参加者らからもそのように受け取られたことが認められ、右認定各事実に照らすと、右指示が、右各ペアーを構成する各参加者に対し、右水泳講習中自分のペアーの相手方から目を離すことなく、同人の動静を注視すべき注意義務を課したとまでいうことはできない。

よって、原告らの江見教諭の注意義務に関する主張は失当というほかない。

(2) 仮に、江見教諭に本件水泳講習中同人のペアーの相手であった亡宗一と行動をともにし、お互いに安全を確認し合って事故の発生を未然に防止すべき注意義務があったとしても、江見教諭に過失を認め得るためには、同人に本件事故発生に対する予見可能性の存在を必要とする。

(イ) しかしながら、本件においては、原告らの本件全立証によっても、右予見可能性の存在は、これを認め得ない。

(ロ) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

(a) 江見教諭は、亡宗一とペアーを組むことにし、二人で前記準備体操をしたが、亡宗一は、その後も更に自分一人でアキレス健を伸ばす等の準備運動をした。その際、江見教諭は、亡宗一に身体の不調を窺わすものを認めなかった。

(b) 江見教諭と亡宗一は、右準備運動終了後、二人で海に入り沖に向かって泳ぎ出したが、この時は最初でまだ慣れていないこともあって足の届く深さの範囲内で泳ぐにとどめ、浜に向かって引き返して来た。二人ともしばらく休憩した後、江見教諭が、沖合約七五メートルのところにあるブイまで泳ぐことを提案し、亡宗一もこれに異を唱えることなく二人で沖に向かって泳ぎ出した。二人は、互いに離れずに泳ぎ、ほぼ同時に前記ブイのある付近に到着し、ブイとブイのほぼ中間地点でブイを繁ぐロープを足で踏むような格好で休息しようとしたが、それでは不安定でうまく休息できず、二人の間でその趣旨の会話を交わした。この時の二人の間隔は、約一メートルであり、亡宗一の様子にも変わったところはなかった。そこで、江見教諭は、右ロープに到着後約一分程して、浜に向かって左側(東側)にあったオレンジ色のブイの方を見たところ、右ブイにつかまり休息をしていた参加者が右ブイを離れそうであるのを認め、亡宗一に、右ブイで休息しようと申向けた。これに対し、亡宗一も、右ブイの方を見て、人がいるぞと返答したが、江見教諭は、行ってしまうから大丈夫だといい、同人の左隣(東側)にいた亡宗一の前を横切って右ブイに向かって泳ぎ出した。江見教諭は、亡宗一が右のとおり応答してはいたものの、当然自分の後方に追従して来るものと思って一〇数メートル泳ぎ、右オレンジ色のブイまで辿り着いた。そこで、江見教諭が、後方を見ると、同人に追従して来ていると思っていた亡宗一が追従して来ていなかった。そして、江見教諭が、浜に向かって左斜め前方を見ると、浜に向かって泳ぐ者の白い帽子が見え、亡宗一も白い帽子をかぶっていたことからそれが亡宗一だと思った。江見教諭は、水泳がそう得意ではなかったことから一人とり残されたと思い不安になり、早く浜に引き返そうと思い、浜に向かって真直ぐに最短距離を泳ぎ浜まで辿り着いた。一方、亡宗一は、自分の前を通り過ぎ、前記オレンジ色のブイに向かった江見教諭とは逆の方向に向かい、右休息していた場所の西側にあった黒色のブイまで泳ぎ着いた。右ブイでは、国広・小坂組が休息をしていたが、右両名は、亡宗一の到着と同時に右ブイを離れ、浜に向かって泳ぎ出した。まもなく、亡宗一も、国広・小坂組の後を追うようにして浜に向かって泳ぎ始めた。しかし、浜に着く途中溺水し行方不明となった。

(c)  右認定各事実を総合すると、本件事故は、亡宗一の突発的単独行動、即ち、同人は江見教諭とペアー編成後ブイ間のロープ到着まで終始江見教諭と行動をともにしていたにもかかわらず、本件事故直前江見教諭がオレンジ色ブイに向かって泳ぎ出した後にとった突発的単独行動に起因するというべく、したがって、亡宗一の右単独行動は江見教諭にとっても予想できないところであったというほかない。

よって、江見教諭には、本件事故発生に対する予見可能性がなかったというのが相当である。

(3)  以上の認定説示に基づき、江見教諭に本件事故発生に対する過失の存在を肯認できない。

(三) 結局、原告らの、被告市には、民法七一五条一項に基づき本件事故に対する責任があるとの主張は、右認定説示のとおり江見教諭の過失に関する部分で既に理由がない。

4  上来の認定説示から、原告らが主張する、被告市の本件責任原因は、いずれもその存在を肯認することができない。

四結論

1  以上の次第で、被告市に原告らが主張する本件責任原因の存在が肯認されない以上、被告市には、本件事故による損害を賠償する責任がない。

2  よって、原告らの本訴各請求は、その余の主張の当否を判断するまでもなく、いずれも全て理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鳥飼英助 裁判官杉森研二 裁判官飯田恭示)

別紙本件講習会の内容

一七日  一三時浜坂に到着

一四時四五分頃より開講式

一五時より一六時三〇分まで末吉教授の指導により音楽を使った体操で全身をほぐす。主として音楽にあわせて歩いたり、走ったり跳んだりする運動

一八時夕食

二三時就寝

一八日  八時朝食

九時より一〇時三〇分まで末吉教授の指導により音楽を使っての体操ならびにボールを使っての体操。

一〇時三〇分より一〇分間体操

一〇時四〇分より一二時まで末吉教授の指導により柔軟度を高める体操(ストレッチ)。

一二時より一三時三〇分まで昼食ならびに休憩

一三時三〇分より一六時三〇分まで和田講師によりバスケットボールの実技指導

途中一〇分間の休憩

一八時夕食

二三時就寝

一九日  八時朝食

九時より一二時まで大森講師により歩走跳の運動にボール、輪、なわとびなどの用具を使った運動。

途中一〇分間の休憩

一二時より一三時三〇分まで昼食ならびに休憩

一三時三〇分より一七時まで末吉教授の指導により器械運動、鉄棒、マット、とび箱運動等の説明、実技。

途中一〇分間の休憩。

一九時夕食

二三時就寝

二〇日  八時朝食

九時一五分宿舎出発 九時三〇分サンビーチ到着

九時三〇分より諸注意。ペアの編成。

九時四〇分より一二〜一三分準備体操

九時五五分より水に入る。

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